左と僧侶とインスピレーションの話

今日は旧暦1月11日。



ニュージーランドは、2月6日にWaitangi Day(ワイタンギ・デー)という祝日がありました。

先住民のマオリ人と、この島に入植した西洋人が条約を結んだ、いわば「建国記念日」。

祝日はお休みのお店もありますが、多くのお店が営業しているかんじでした。



その日は夫も仕事が休みで、久しぶりに朝マック気分でドライブスルーでホットケーキを家族分注文。

なんと注文番号が222番でした。

前日にひそかに娘とマックシェイクを買いに行ったという夫が、「昨日はオレ、111番だったよ」と自慢げに言っておりました。



若い頃からスロットやパチンコに興じていた夫は私よりもっと前からゾロ目にご縁がありました。

ゾロ目のプロ、とでも言うのか、ゾロ目への意識は私より夫の方がはるかに強かったと思います。



夫は誕生数秘も11のマスターナンバーだし、変に強運で、意識せずともスピリチュアルの感度が高い人なんじゃないかと思うことが多々あります。



先日、私が働くオプショップに、《タイの僧侶と思われる橙色の袈裟を着た坊主の男性が、ゾウの長い鼻の前にひれ伏している》大きなキャンバス画が寄付されました。



店頭で見たときは印象的な絵だなと思ったけど購入することは考えずにスルーしましたが、どうも頭から離れず、その晩には家にその絵を飾りたくなった私。

残念ながら、翌日にはどなたかが買って行ってしまったのですが。



その絵のことを考えながら夕飯の食卓を囲んでいるとき、夫の左後ろに見えた橙色の食器用のクロスが、夫とリンクして閃いたのです。



あ、夫はタイの僧侶だったかも、と。



そういえば、夫が今の職に落ち着く前に働かせてもらったのがタイ人が経営する日本料理店だったし、夫が初めて行った海外旅行先(大学の卒業旅行)がタイだったり。

(夫は私とハネムーンでハワイに行くまで、タイが唯一行った海外旅行先でした)

夫とタイとの縁は実は深いものだったのかもしれない、と。



夫も娘も、そうかもしれない!という話で盛り上がったところで、それに肉付けできるような新たな気づきが



実は夫には、ちょっとやそっとでは治らない「しぶとい癖」があって。



食事の時、左腕をダラーっと下に垂らしたまま、右手だけ使って食べるのです。

左肩が下がって、上体が斜めになっている感じ。

注意すると「あっ」と言って姿勢を正して左手を茶碗に添えますが、注意し続けてかれこれ20年近く。

そんな様子の夫を見て、私は常々、夫の前世かご先祖様に左腕がない人がいたんだと思っていました。



左側を補うために私の名前(美佐子)に「佐」があるのかー、なんて思ったりしていましたが、橙色の袈裟の僧侶を思い浮かべたら、そういえば、東南アジアの僧侶ってどちらかの肩を出していなかったっけ、と閃いて。



なんと左肩を覆って、右肩を出していたんですね。

これは、「偏袒右肩(へんだんうけん)」というそうです。



左手が不浄とされているインドからの仏教伝来の影響かもしれないとも考えられるし。

もしかしたら、「偏袒右肩(へんだんうけん)」の名残だったりするのかもしれません。



そう考えると、なぜ私には「佐」という名前がついたのか、それを解明したい気持ちにかられます。

奥深いです。



タイの僧侶だったんじゃないか、という話で盛り上がったすぐ翌朝

夫が勤務先の寿司屋で開店準備をしようと店の外に出たら、なんと、店の前で袈裟を着た背の高い白人男性が一点を見つめながら托鉢していたそうで、夫も心臓が止まりそうなくらいビックリしたと言っておりました。



何か話そうと思ったら邪魔が入って店内に戻らざるを得なくなり、その後どうなったかはわからないとのこと。



僧侶との出会い・・・

夫の前世を表しているのか。

未来を表しているのか。



前世僧侶なら、今世の欲深さは前世の禁欲の反動かもしれない(笑)

だけど、ただの遺伝かもしれない(過去ブログで謎解き ↓ )




前世にしても来世にしても何にしても「今を生きる」しか他ならないのですが

今をよりよく生きるヒントは、前世や家系に隠されているように思うのです。



紫微斗数で見ると夫の命盤は二つの命盤のどちらかだとは思うのですが(時間が曖昧)、一つは、主星がなく宗教星だけが入っている「お坊さん」の命盤でした。



親に敷かれたレールを歩いてきた夫は、ニュージーランドに来て初めて道なき道を歩いています。

これから先、夫がどう変わっていくのかも楽しみのひとつです。