名前は使命

こんにちは。

いつも長文にお付き合いくださりありがとうございます。



今日は友だちと農園レストランでランチしてきました。

藤城茉莉花さんと同じ派遣時代に一緒に働いた仲間です。

和製ミランダ・カーと呼ぶくらい愛きょうのある笑顔で大好きな子です♡

私の6コ下ですが、意思がハッキリ。

性格も媚びることなく、サバサバして大好きです。



再会するのは実に2年ぶり?

昨日 誕生日を迎えたばかりという下のお子さんと一緒に束の間の時間を過ごしました。



下の子は予定日より18日も早く生まれた、と言う友だちに、

誕生日も名前も偶然なことは何一つないんだよーなんて話をしました。

お姉さんは若くして実業家だそうです!

人に恵まれている、という話から、それはすべて先祖の行いのたまものだよ~、と伝えました。

すぐにお墓参りしなくちゃ!と反応してくれて嬉しかったです。


☆☆☆

今日は五月晴れで、世界がキラキラして見えました。



きっと今日はお日柄がいいんだろうなーとキッチンに貼りっぱなしの自作のカレンダーを見てみたら、

「一流万倍日、母倉日、神吉日」とありました。



朝、犬のお散歩で神社にお参りしてきたばかり。

神吉日でよかったです。

母倉日というのは、「母が子を育てるように、天が人間を慈しむ日」という吉日です。

そんな日に、お子さんを慈しむママの姿が見れてよかったなと思いました。



これが自作のA4サイズカレンダー ↓


最初は六曜だけだった情報も、今では旧暦や日干支や数秘も含めています。

今日は、2018年5月11日。一桁の数秘で計算すると18。

2000年を2ではなく、20で足す私流の計算方法では36(→数秘の検証

36は「みろく」と読む、私の誕生数と同じです。



レストランでお会計をする時に下二桁が36だーなんて金額に目が行ったのですが、

帰ってから自作のカレンダーとレシートを見た時に

あ、神様見ていてくれている♡と思いました。

¥1,836 (私のカレンダーには18/36と書いてあります!)

☆☆☆


さて、シンクロの話はここまでにして。



今日のブログは昨日の夜のうちから「名前」の話にしようと思っていました。



いつかの新聞の広告欄に、名前は偶然ではない、的な本のタイトルが掲載されていたのです。その時は、そうなんだー、と思うだけで写真に残すこともなく、しばらく時は経ち。



私の家の途切れた家系図を調べていたとき、

私の曽祖父の名前が「禎太郎」という名前だと思い出しました。

「禎」という字は、「まともに受ける神の恵み」「神の加護を受けたことをあらわす」とあったのです。

私の祖父は一切昔の話をしなかったので、曽祖父がどういう人だったかはわかりませんが、名前で想像できるように思えます。



今日会った「まゆ」ちゃんは、平仮名の「まゆ」ちゃん。

そういえば、まゆちゃんの眉毛は、意思の強さを表すキリッとした美人眉。



そして私。

「美」 羊の首に、両手両足を伸びやかにした人

「佐」 左という字は「神に仕える人が左手に祈りの道具を持ち、神のいるところを尋ねて助けを求めること」を示し、

にんべんを付けることによって、人のそばにつき、手を添えて助けること、の意。

(参照 【漢字トリビア】「佐」の成り立ち物語



羊、といえば、ニュージーランド。

人のために神様に助けを求める。

これが私の使命、なんだと思います。


☆☆☆


名前のブログを書くことにして、選んだ曲がゴダイゴのビューティフル・ネーム。

ゴダイゴの曲は私の母がよく聴いていました。

そんなゴダイゴの懐メロをまだ20代前半の彼が好んでよく聴いていたので、私にとっても思い入れのある音楽です。

事故からしばらくして「ガンダーラ」を無性に聴きたくなって買ったベストアルバム。

GODIEGO GREATEST BEST VOL.1の「1曲目」の歌が、このビューティフル・ネームです。


ごだいご、ぼりゅーむ1の1・・・

語呂も5.11。今日ですね。


☆☆☆


先日、新潟で小学校2年生の女の子が殺されるという痛ましい事件が起きました。

その子に付けられた名前、珠生(たまき)ちゃん。

単純に名前だけを見てみると、「真珠のように美しく生きる」と読めます。

どんな使命をもって生まれてきたのでしょう。



そんなひどいことをした人にも、付けられた名前があるはず。

名前がない人はいないのです。

なぜ名前を持たない人がいないのか。

それは、皆、使命を持って生まれてくるからです。



「ビューティフル・ネーム」

今日も子どもたちは、小さな手をひろげて

光と、そよ風と、友だちを呼んでる



陰陽とか光と影とか、悪がなければ善はないというけれど、

私は、神様が殺し合いのために生命を誕生させたとは決して思いません。

それは人間の都合のいい後付けだと思うのです。

そうならない世界を作っていかなければならない。

それがもう一度この世に生を受けて生まれてきた私たちの使命ではないでしょうか。



小さな子どもの命を奪うことは、やめてほしい。



犯罪の被害者で、報復を恐れて名前を変えて生活しなければならない人たちもいます。

犯罪の加害者は、犯罪者として名前が残り続けます。

最初に付けられた名前は一度きり。

どうぞ、その名前を大切にしてください。