三宅裕司のファミリーヒストリーから行きついたマイルーツ



22日の日曜日

NHKのファミリーヒストリーを見ていたら



三宅裕司さんのルーツに

神田神保町と岡山県が。



この二つ

私の父方のルーツと共通していたこともあって



見ているうちに

しばらく収まっていた私の探究心に火が点き



またネット検索をスタート。



そしてその晩、ついに

ネットで「高祖父」を確認したのです!!



*高祖父とは私の父方の曾祖母の父(私のひいひいおじいちゃん)

実際、戸籍上では「養父」なので血がつながっているかはわかりません



存在を探し続けてついにわかったことは



高祖父は

明治の頃、東京の神田で

文壇雑誌を出版・編集していて



さらに大正時代にわたって

著者として本を出版していました。



なぜ明治時代の人物を

ネット検索で高祖父だと特定できたか。



① 名前

② 戸籍に記載されていた住所



この二つがマッチするものを

ずっと探し求めていました。



この高祖父の養女(私の曾祖母)と結婚し

婿養子になった曽祖父は

大正14年にこの家を廃家にして

当時9歳の祖父を連れて

生家の岡山で暮らし始め



祖父の代に東京に戻ったのですが

祖父は自分の生い立ちを語ることもなかったため

昔のことを知る人は身近にいません。



私の父も今さら、なんでしょう。

自分の先祖のことなのに調べようとしません。

真実を知るのが怖い、のか

知らなくていい、という気持ちもあるのかも。

今まで不自由なかったし

今が幸せだから、それでいいのかもしれません。



でも私はいろいろなシンクロがありすぎて

見過ごすことができなかった。

探すことをあきらめませんでした。



前回までの捜索では

名前のネット検索で

ある程度、目星はついていました。



その目星を付けた人物が

先述の文壇雑誌の発行人でした。



なぜなら



戸籍の住所が

明治の時代から

印刷や出版でにぎわっていた今川小路(今の神田神保町)だったこと。



その場所に住んでいたということは

そういうことに携わっていた人ではないかなと。



それと私が自分のルーツに関心を持ち始めたきっかけが

「活版印刷」だったから。



2年前のある日

テレビで岐阜の古民家でやっているという

活版印刷の特集があって



その時生まれて初めて

活版印刷というものを知り



生まれて初めて

鉛でできた「活字」というものを見たのです。



ものすごい郷愁と衝撃を覚えたのを今でも忘れられません。



『これだよ、これ!!!』



テレビの前で叫んでいました。



そのときの高揚感といったら。



活字の入ったレトロな木の棚と

いろいろな字体のレトロな鉛!!

わたしが好きなもの全部これ!!!



その年のクリスマスに

何も知らない東京の伯母から

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が贈られてきて






そこでこの本が活版印刷所を描いていることに衝撃を受ける。

(名前は知っていても読んだことがなかったのです)



私の活版印刷熱など知りもしない伯母でしたが

私が興味を持っていることを伝えたら

曽祖父の岡山県の生家も印刷所だったと教えてくれたのです。



実際にその家は曽祖父の兄が継いで代々印刷所を営んでいました。

伯母は子どもの頃、東京から遊びに訪れていたそうです。




2012年当時の印刷所の写真 レトロー♡




そのときから私は

満月新月の願いに

「蔵を持って活字のギャラリーをやりたい!」と書いたくらい。



そんなこんなで印刷所のルーツはあるものの

高祖父の特定はできないままだったのですが



事態が急展開を見せたのは

まさに、三宅裕司さんのファミリーヒストリーを見た後。



初めて「日本の古本屋」という、古本を扱うサイトをのぞいてみました。



高祖父の名前で検索すると

同姓同名の出版物がいくつも出てくるのですが

住所が特定できそうなものがありません。



そのとき、私の右肩がものすごく痛くなって。

グーッと誰かに掴まれているような感覚。



それで何となく最初から違うだろうなと除外していた本を

クリックしてみたのです。



そしたら、な、な、なーんと。



そこに掲載された画像に

その名前と、戸籍にあった住所が並んで印刷されていたのです!!!!



まさにそれは

私が去年からこの人じゃないかと目を付けていた人。

直感は、正しい!!!



その時点で右肩の痛みもなくなっているという、不思議。



さらにビックリしたのは



その文壇の出版社は

元は「商店」であり



専売特許の印刷機を

陸軍参謀本部やお役所、小中学校に

たくさん納入実績を上げた会社でした。



そして自身が発行した雑誌に自ら投稿した

その名も「明治文運論」



「明治の文運は諸君を待て益々隆昌に赴かんとするなり、諸君希くは満足する勿れ、軽佻なる勿れ、他人の文に依て自ら得々たるが如き卑人と為る勿れ、古人の余唾を綴るのみに齷齪し渾ての責任を忘れんとするが如き懶者と為る勿れ、勉強を怠る勿れ、読書を廃する勿れ、秦は一日にして成る者にあらず、文豪一夕にして生ぜんや、文運何ぞ一朝にして隆ならんや」



どうやら文豪を目指している人たちに論じた文章のようで



満足するな、軽佻になるな、誰かの文章をあたかも自分のものとして使うような卑しい人間になるな、古人の言葉ばかりを並べて怠けるな、勉強を怠るな、読書をやめるな、努力し続けろ



といったもの。

ちなみにこの雑誌には、若山牧水などの著名人も投稿していたそうです



この魂のこもった文章を読んで

私の気質にすごく似ていると感じたのが第一印象。



さらにビックリしたのは

高祖父は大正時代に

別の出版社から中国語を翻訳した本を出していて



それも、中国のかなりマニアックな「夢占い」の本。

呪いに関する符の書き方なんかも翻訳してある。



高祖父・・・中国語翻訳、中国の夢占い

 私  ・・英語翻訳、紫微斗数



小学生の頃から作文が得意で

読書のスピードも速く

図書館の本の虫だった私



字体や装丁フェチで



ジャーナリストや

コラムニストに憧れ



最終的に翻訳の道を選んだ私。



いつも首都高から見える九段下の郵便局に何故か目が留まっていたこと。

その前にある俎板(まないた)橋を渡ると

その商店はあったのです!!!



どうして好きなのか、どうして得意なのか

わからないまま生きてきたけど

DNAレベルで刻み込まれた風景がちゃんとあった!!!



そのことを今すごく誇りに思っています。



東京生まれ東京育ちなのに

東京を敬遠してきた私ですが



少しだけ東京の印象が変わりました。



直感とシンクロが解き明かしたファミリーヒストリー



斎藤一人さんも言っています。

今世得意なことは

前世からやってきてるんだよ、と。



私は自分の前世はわからないけど

家族の目に焼きついた風景や強烈な経験が

DNAを通じて

子孫に受け継がれると信じています。



その晩、発見して喜んでいる私に

娘が書いてくれたメッセージ。



娘には誰の何が強く受け継がれているのかな。



自分をもっとよく知るために

ファミリーヒストリーをぜひ繙(ひもと)いてみてください。