☆☆TODAY'S QUOTE☆☆
Never be bullied into silence.
Never allow yourself to be made a victim.
Accept no one's definition of your life;
Define yourself.
Robert Lee Frost
黙ったままイジメを受けるな。
「犠牲者」に成り下がるな。
誰の決めつけも受け入れるな。
自分の価値は、自分で決める。
アメリカの詩人ロバート・フロストの言葉を翻訳しました。
"Accept no one's definition of your life"
いじめで
自分の人生を他人に乗っ取られないように、
心の持ちようを説いた言葉だと思います。
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いつもご覧いただきありがとうございます。
みちばたのほんやくか
misayama です。
今日で8月も終わり、
名古屋の夏休みも最終日。
子どもたちはまもなく始まる学校にソワソワしていると思います。
例年8月から9月にかけて
子どもの自殺が増えるという報道がありました。
学校に行きたくない・・・
もう死にたい・・・
実は。
私も中学の頃、経験しました。
私の場合は、「集団シカト」を。
☆☆☆
中学に入ったばかりの頃。
きっかけは、
学年集会で、女子の雑談を注意したことからでした。
私は当時、(たぶん推薦されて)学級委員をしていたのですが、
学年集会の誰かの発言中、
雑談の声が邪魔して話が聞こえなかったので、
『ちょっと、そこ、うるさい。聞こえないから静かにして。』的な注意をしてしまったのです。
私は全然気にも留めていなかったのですが、
私の言い方がきつかったのかもしれないし、
言われた側は高圧的に思えたのかもしれないし、
みんなの前で注意されたことが「屈辱」だったのかもしれません。
雑談をしていたクラスの女子は、
ちょっとボス的なかんじの子で。
その注意が引き金となって、昔でいう「シカト」はスタートしました。
その女子から「かん口令」が発令され、
クラスの女子全員が私と口を利かなくなったのです。
特にひどかったのは、
休み時間になると大声でみんなに聞こえるように悪口を吹聴します。
普段仲良く話していたクラスの女子は、
助けるどころか、バツの悪そうな顔をするだけでした。
たぶん、もっとひどいことも言われたり、されたかもしれない。
記憶にフタをしたのか、あまり覚えていません。
1週間以上だったかな。
お先真っ暗な日が続きました。
私は、学校に行かないのは「負け」だと思って、
毎日重い足を引きづりながら学校に行きました。
そして、日に日に心がやつれていきました。
一番仲が良かった別のクラスの友だちは、
知ってはいるようだったけど、
私に何も言いませんでした。
私も相談などして迷惑かけたくないし、
何も話せませんでした。
黙って一緒に帰ってくれること、それだけが救いでした。
誰にも相談できず
ついに行き場を失って、
あるとき、「もう飛び降りよう」と2階のベランダに手をかけました。
そのとき浮かんできたのは、
母の顔でした。
母が経験するだろう気持ちを想像して、
私はそのとき、はじめて泣いたと思います。
それまで泣かなかったのは、
泣いたら負けだと思っていたこと。
泣いたら自分を律しているすべてが崩れてしまうと恐れていたこと。
結局、母にも家族にもこの話は一度もしたことがありません。
家の中では、そんな悩みを微塵も出しませんでした。
つとめて明るく平静に過ごしました。
家が安心できる場所であったのもあるし、
何より感づかれたくなかった。
「シカトされてる」なんて恥ずかしくて言えなかったし、
そういう対象であると思われたくなかったし
無視を始めた女子のことを母も知っていたので、
その子が首謀者だということを告げ口したくなかったというのもあります。
☆☆☆
2週間目のある日、
私を無視していた女子たちが、次々と面と向かって謝罪してきたのです。
まるで、ごめんねと言いなさいと促される幼い子どものように。
「みさちゃん、ごめんね」って。
事情はよくわからないのですが、
私が無視されていることを伝え聞いた部活の3年生の先輩たちが
一喝してくれたようなのです。
突然の手のひら返しに、私は呆気に取られたし、
まだ、信じられませんでした。
数日はかなり警戒しました。
でも、その日を境にもう二度と「シカト」はありませんでした。
☆☆☆
私はラッキーだったけど
集団で無視されるつらさは、身を持って体験しています。
つらい。
誰にも話せない。
親には心配かけたくない。
誰かに相談したところで解決しない。
どこにも行き場がない。
そんな気持ち、よくわかります。
私は、負けず嫌いだったし、
小さいころから壮絶な兄妹ゲンカを繰り返していたから
どんなひどい悪口にも免疫があったし、強かったのかもしれません。
でも、みんながそうではないはず。
きっと、折れそうな心で必死に生きている子どもたちもいると思うのです。
いろいろ経験して母になった私からできる助言は、
一人で悩むのはやめよう
一人で悩んでも、解決しない
です。
ひどいことをされていたり
精神的につらい毎日だったら
どんなに親に心配かけてもいいから
学校に行かないなり、さまざまな手段をとって、
あなたの命を守り抜いてください。
そこで命をやめないでください。
今いる場所が、すべてではありません。
今いる場所は、本当に狭い社会です。
もっと広い世界があるのです。
おびえることなく生きられる舞台がきっとあります。
親を悲しませたくないと思う真面目で優しい子ほど
八方ふさがりになり、
自殺の道を選ぶと言います。
私は親に言えなかったけど、
親になった今、
私の娘には、何かあったら伝えてほしい、と思う。
☆☆☆
愛する人を理不尽な形で失った家族の苦しみは
経験した人でないとわかりません。
抱きしめてあげたくても
助けてあげたくても
もう触れることも、助けることもできない。
その無力感や、喪失感、加害者への怒り、毎日を生きていくことへの後ろめたさ、
世間の目。
整理しきれないたくさんの葛藤とともに生きていかなければなりません。
残された家族の苦しみは、壮絶です。
心の不調は、必ず体の不調になって現れます。
大病で職を失ったり、家族が崩壊することだってあるのです。
☆☆☆
どうか気持ちをため込まないでください。
思い切り泣いてください。
私は、ケツメイシの「涙」が好きです。
私も恋人を事故で失って
ボロボロの人生を歩んでいたとき
この歌を歌いながら、よく一人泣いていました。
ぜひこの歌と一緒に
心にため込んだ悲しさや悔しさを涙にして流してください。
そして、命をやめることを選ぶ前に、
どうか、恐れずに伝えてください。
どうか、その環境と距離を置くことから始めてください。
それは、「逃げ」ではありません。
自分の身を守る、立派な自己防衛です。
生き延びた先の社会には、
勉強したいことを勉強したり
愛する人ができたり
働いてお金を稼いだり
旅行したり
車を運転したり
お酒を飲んだり
趣味を満喫できる日々が待っています。
どうか、あきらめないでください。
自分を見捨てないでください。
自分を見捨ててしまうと
助けようとしている人たちがどんなに手を差し伸べても
その手を掴むことができません。
一人で頑張らなくていい。
社会には、味方はたくさんいます。
心優しいあなたが社会に出てくることを待っています。
☆☆☆
本日も最後まで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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