5月18日は、亡き祖母の命日でした。
祖母のことを考えた時
どんな歌がいいかな、と思ったら
この歌が思い浮かびました。
祖母は、母の生みの親ではなく、育ての親です。
ですが、祖母は私にとっては、母の生みの親よりも「おばあちゃん」でした。
母は福島県育ちの4人姉弟の3番目に生まれて
一人だけ3歳の時に、生みの母の妹夫婦に譲られる形で養子に出されました。
妹夫婦は子どもができなかったからのようです。
母は、親兄弟と離れ、一人だけ東京で継父母に育てられました。
昭和20年後半~40年代初め。
時代的にも生活は厳しく、継母は口が悪くて気性が激しく、継父とよく激しいケンカをしていたそうです。結局、継父とは離縁したそうです。
母にとっては、親元で愛され育てられた姉や弟がどれだけ羨ましかったでしょう。
実の家族との失われた20年は、つらかっただろうと想像できます。
私が子どもの頃は、私が兄とケンカをしたり、わがままを言ったりすると
決まって母は若い頃の不幸話を始めました。
「あんたたちはいいよ。お母さんなんて・・・」といったかんじで
最後は必ず泣きながら。
私が高校を卒業する頃までそれは続きました。
思春期の私には母の涙や悲しみは正直とても苦痛で、
高校に配属されていた心理カウンセラーに何度か話を聞いてもらったこともありました。
そんなことも母親本人は忘れているから不思議です(忘れているのか、思い出したくないのか、わかりません)。
私はその当時は苦痛で仕方なかったけど、
母の涙を受ける、というのは、私の役目だったのではないかと思います。
私が23のときに「おばあちゃん」が亡くなって、
ようやく母は満たされなかった子ども時代を清算できたかんじがしました。
私には優しい「おばあちゃん」でした。
「おばあちゃん」は突然亡くなりました。
一人暮らしで長年続けていた内職の仕事が会社の都合で打ち切りになって、
最後の仕事を納品したその晩か次の日だったと思います。
安心したのか気が抜けたのか、
入浴中に心臓発作で一人亡くなりました。
幸い、その翌日、仲良くしていた近所の人が家を訪ねて、お風呂場の窓の隙間から見つけてくれました。
生前おばあちゃんは「ぽっくり死ぬんだ」と言ってたそうです。
それは「おばあちゃん」ならではの、「誰にも迷惑かけない」という強い気持ちからだったと私は思います。
孤独死、だったけど、孤独死ではなかったと思います。
☆☆☆
昨日は家でゆっくり、一週間前に借りた映画「殯(もがり)の森」と「あん」を2本続けて見ました。
「殯(もがり)の森」は、ここ1ヶ月ほど導かれて調べてたどりついた「奈良県」の「茶畑
」の風景を見るため。
「あん」は、ニュージーランドでは自分で「あんこ」を炊いたくらいあんこ好きで名古屋在住の私が、「あんこ」と「愛知県新城市」というキーワードだけで見たいなと思っていた作品です。
どちらも同じ河瀬直美監督の作品でした。
私は日ごろ、「先入観」を持たないようにすることを心がけています。
なので、この二つの作品は「キーワード」以外、何の情報も持たずに再生ボタンを押しました。
見たときの衝撃。
涙が止まりませんでした。
「殯(もがり)の森」は、幼い息子を水の事故で亡くした母親と、愛する妻を33年前に亡くした老いた男の物語。
「あん」は、事件の加害者となって静かに生きる男と、10歳のころにハンセン病と診断され隔離された生活を送ってきた老女の物語。
「殯(もがり)の森」の最後に、
「殯(もがり)」とは
敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間のこと
また、その場所の意
語源に「喪あがり」
喪があける意、か。
とありました。
私のブログでまさにこの言葉を使ったときがあります。
だから、この「殯(もがり)の森」にたどりついたのかなと、思いました。
そして、「あん」。
9歳で私が引っ越した地域と切っても切れない「西武線」の風景がたくさん出てきました。
そして同じ沿線の夫の両親が暮らす市内に、ハンセン病患者が多く暮らす場所があるということも初めて知りました。
ずっと「外の世界」に出られずにいた人生。
ようやく光が当たる場所で働き、
自分の作る「あんこ」を喜んでもらえた75歳の女性の眩しさ。
月を見て、桜を愛でて、鳥の声を聞いて、風に吹かれて・・・
当たり前の風景を慈しんでいる彼女が、
「私達はこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。
この世は、ただそれだけを望んでいた。
・・・
だとすれば、何かになれなくても、私達には生きる意味があるのよ。」
と言いました。
☆☆☆
「何かになれなくても、生きる意味がある」
月や太陽、雨や風、鳥や虫、木や花、においや味。
そういうものを愛で、知るだけでも、「この世に生きる意味がある」。
毎日、お金のための生活に追われたり、
学校でいじめられたり、
何のために生きているかわからないという人たちに
ぜひ、生きている意味を伝えたいと思いました。
「殯(もがり)の森」も、「あん」も、
人との関わりから、人生を学び、自分を「再生」する主人公がいました。
何かになれなくても、
誰かの役には立てる。
☆☆☆
奇しくも、「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんは、私が「おばあちゃん」のいる福島県で過ごした7歳の誕生日に、飛行機事故で亡くなりました。
そして私が事故で恋人と死別した1ヶ月後のNHKの紅白歌合戦で、この曲が出場歌手によって大合唱されました。
「九」という名前も、私の数秘「9」と一緒でご縁を感じます。
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